シゴクリ本発売記念

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江戸のシゴト事情(1/3):江戸のシュウカツ

いずみさん
本日の寄稿者:いずみ朔庵

【プロフィール】
和と時代物のイラストレーター・和雑貨デザイナー。イベント等では紙芝居を使ったパフォーマンスを行う。趣味は褌(ふんどし)づくり。江戸文化歴史検定2級。

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初めまして。池田八惠子先生やえこさんの友人で、時代物イラストレーターのいずみ朔庵(さくあん)と申します。よろしくお願いします。

最近の就職活動は大変そうですね!100社受けて、1社受かればいい方だとか…要するに、需要と供給のバランスが悪いんですね。少子化で若年人口は減っているはずだけど、不況で会社が新しい人を採れないんです。会社にとっても新陳代謝が起らない事はあまり良いとは言えません。
では、そんな時代に生まれてしまったアナタが悪いのでしょうか?え?昔の人は良かった?それはバブル期の事?それとも高度成長期の事ですか? ではそれより前の人たちはどうしていたのでしょう。太平洋戦争の時は?もっと遡って幕末や明治維新の混乱期は?戦国時代は?

今回は、私が最も好きな江戸時代の仕事事情について考えてみます。

「江戸の町」は、非常にシステマチックな社会を築いていました。「身分」や「家柄」があり、衣食住に関しても細かい決まりがあり「職業」にも制約がありました。例えば「武士」ってどんな仕事をしていたんでしょうね。今の職業で言うと何になるでしょう?やえこさんは「サラリーマン!」と答えていました。

大ざっぱな答えですが、正解は「公務員」です。

お侍さんは将軍や自分のお殿様に仕えてますから、総理大臣→将軍、知事→藩主、となるわけで、あとは役所の職員、警察や裁判所、公共の施設の管理なんかをやっているわけです。区役所の窓口にいる人が羽織袴に刀を差し、ちょんまげを結っているのを想像してください。ちょっと楽しくなりませんか?

では時代劇でよく見る、長屋で傘張りしたり、お金持ちの用心棒をしている侍は何なんだ、と言いますと「公務員」になりたくてもなんらかの理由でなれない(または、ならない事を選択した)「浪人」という事になります。今も使われている「浪人」の元となる言葉です。一度浪人になると仕官はなかなか難しかったようです。今は公務員試験がありますから、当時に比べればチャンスに恵まれていると言えるでしょう。※1

では、やえこさんが言った「サラリーマン」はどこにいるのでしょう?

江戸は260年の間に、武家から町人中心の文化に変わっていきました。なぜそうなったかというと、それは「お金」の存在でした。お金持ちの商人、金貸し、そう言った人たちが経済を回しはじめ、飛躍的に文化が発達しました。京から呉服屋がたくさん出店し、江戸でもお酒や野菜などの地場産業が活発になっていきます。そこで人々は「現地(江戸)で人を雇う」必要が出てきました。江戸時代は、人のつながりが第一です。知人の息子など、いわゆるコネが主流でした。商家ですと子供の頃から教育して後継者を育てる場合もあります。この雇われている人たちが「サラリーマン」とイメージしてもらえればいいかと思います。

ちなみに「派遣制度」もありますよ。「口入れ屋」と言って、ここは求人が出ます。飯炊きや女中など町の仕事もあれば、出稼ぎや工事の人足など様々。長屋のおかみさんも、亭主の稼ぎが少ない時は口入れ屋から奉公に行っていたかもしれません。江戸時代の女性も働いていたのかって?明治時代に外国から「家長制度」が入ってくるまで女の人もバリバリ働いていたんです。武家の奥様だって、上級武士の家で働くこともありました。三味線のお師匠さんに至っては、女性(粋な年増がいいそうで…)じゃないとお客がつかないと言われていたほどです。

では、大工さんや指物師(さしものし)などの職人さんはどうでしょうか?職人さんは原則「世襲制」です。大工の家に生まれれば大工、細工師なら細工師…「代々の家柄」云々というわけではなく、江戸の人はよほど、やりたい事がない限りは「親の職業を継ぐのは当たり前」という考えを持っていたようです。子供の頃から仕事を覚えられるし、道具は揃ってるし親の人脈も受け継げる。わざわざ他の仕事につくメリットがないのです。手先の器用な子が見込まれて、養子になる事もあったようです。

お百姓さんは江戸の人口の7~8割程度を占めていたと言われています。豪農(ごうのう)と呼ばれる豊かな人たちもいましたが、貧しい農家は食べて行くのが本当に大変だったと思います。 何より大変なのは「年貢」です。時代によって差はありますが、不作だろうが豊作だろうが納めなければならないお米、キツい農作業…つらさのあまり田畑を捨てて町に流れる者も少なくなかったようです。かの葛飾北斎も、百姓の出だったと言われています。

今でも、夢を求めて上京してくる人々がたくさんいますが、江戸という町も地方の人間にはとても魅力的にうつりました。中にはなにひとつアテもなく来た人たちもたくさんいた事でしょう。彼らはどうやって仕事を確保したのでしょうか。口入れ屋というテもありますが、実は、人に頼らずひとりで出来る商売もあったのです。(つづく)

※1 お侍さんも場合によっては身分を捨てて町人になったり商売をはじめる事もできました。幕末にはそういう武士も多かったようです。

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